画と文 ㈱井筒東京 常務取締役 井筒周
京都の地図
京都の地図を見ると、右側(東側)に左京区、左側(西側)に右京区があるので、変だなと感じる方がおられるようです。これは、平安京ができたときに、天皇は南面(南に向かって座られる)されるので、天皇から見て右(西)を右京、左(東)を左京としたことに由来するものです。
平安時代の左大臣、右大臣では左大臣のほうが地位が高くなります。唐の時代には、左が右よりも貴いとされたことの影響です。しかし中国では、時代によって右を貴んだり左を貴んだりします。組織で降格人事を「左遷」と言うのも、中国で左が右よりも劣ると考えられた時代にできた言葉だからです。
着物の風習
着物を着るときに、今の和服は右前ですが、これは、唐の風習に倣って、719年(養老3年)の「衣服令」で定められたことです。それまでは左前で衣服を着ていたことが、藤原京期(694年~710年)に造営された高松塚古墳の壁画でも確認できます。騎馬民族は右手で弓を弾きますから、邪魔にならないように左前になっており、それを「夷狄(いてき)」(野蛮な異民族)の風習として嫌った唐が右前に戻したと考えられています。