コラム

COLUMN

右と左のこと

2021.2.22  コラム 

京都の地図

画と文 ㈱井筒東京 常務取締役 井筒周

京都の地図

京都の地図を見ると、右側(東側)に左京区、左側(西側)に右京区があるので、変だなと感じる方がおられるようです。これは、平安京ができたときに、天皇は南面(南に向かって座られる)されるので、天皇から見て右(西)を右京、左(東)を左京としたことに由来するものです。

平安時代の左大臣、右大臣では左大臣のほうが地位が高くなります。唐の時代には、左が右よりも貴いとされたことの影響です。しかし中国では、時代によって右を貴んだり左を貴んだりします。組織で降格人事を「左遷」と言うのも、中国で左が右よりも劣ると考えられた時代にできた言葉だからです。

着物の風習

高松塚古墳壁画
高松塚古墳壁画 国営飛鳥歴史公園 HPより引用

着物を着るときに、今の和服は右前ですが、これは、唐の風習に倣って、719年(養老3年)の「衣服令」で定められたことです。それまでは左前で衣服を着ていたことが、藤原京期(694年710年)に造営された高松塚古墳の壁画でも確認できます。騎馬民族は右手で弓を弾きますから、邪魔にならないように左前になっており、それを「夷狄(いてき)」(野蛮な異民族)の風習として嫌った唐が右前に戻したと考えられています。

女官の服装
天武天皇から持統天皇初め頃の
女官の服装。左前としている。
胡服の絵

生経濡緯(きだて・ぬれぬき)

2021.2.15  コラム 

生経濡緯

織物は経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交差させて作りますが、緯糸(貫糸)は「ぬきいと」とも言います。生経濡緯(きだて・ぬれぬき)とは、経糸に生糸を、緯糸には水に浸して濡れた糸を用いた織物です。練っていない糸は繊維の周りにタンパク質のセリシンが覆っています。緯糸はこのセリシンのついた生糸を水につけ濡れたままの糸を織り込むので縦糸のセリシンと横糸のセリシンが接着剤となって布が適度に硬くなり織り上がります。このことで布はしっかりと仕上がり、独特のシャリ感がでてきます。独特の風合いがあるため、江戸期の高級織物の能装束の長絹に用いられています。

生経濡緯

獅子狛犬のこと

2021.2.8  コラム 

獅子狛犬の絵

画と文 ㈱井筒東京 常務取締役 井筒周

各国の獅子

一対の獅子と狛犬が神社や寺院の入り口や拝殿・本堂の脇におかれているのをよく見ますが、百獣の王ライオンを守護獣とする風習は古くはエジプト、ギリシア、西アジアに見られ、人面を持つライオンのスフィンクスや、ライオンの頭を持つ人体像があります。また、インドでは仏の台座にライオンを配したり、釈迦の遺骨を納めるストゥーパの紋にもライオンを見ることができます。中国では、仏教伝来のころより仏像の左右に獅子を配したものが多数あります。

日本の獅子

日本では7世紀ころから一対の獅子の姿が見られるようになります。獅子と狛犬の一対が成立するのは平安時代の9世紀ころと推測されており、紫宸殿の賢聖障子には獅子・狛犬の姿があります。この図柄では、獅子が口を開き、狛犬は口を閉じて頭上に角があります。また、たてがみや尾は獅子が直毛、狛犬は巻き毛となっており、これが典型的な獅子・狛犬の姿といえます。

平安時代後期からは、獅子と狛犬が体を向かい合わせながら、首をひねって顔を正面に向けるという、日本独自のスタイルが広まっていきました。また、近世以降は獅子と狛犬を区別せずに狛犬と総称するようになりました。

軒行灯(のきあんどん)のこと

2021.2.1  コラム 

井筒のロゴマーク

井筒の軒行灯

井筒のカタログの裏表紙には、六角形のガス灯のような形のロゴマークが使われています。これは、軒行灯(のきあんどん)とか軒灯(けんとう)とか呼ばれるもので、京都市下京区の(株)井筒の旧社屋の軒に取り付けられていたものをモデルにしています。軒行灯は、今でも京都では古くから商売をなさっているお店や料亭の軒に置かれているのを見ることができます。

明治時代の看板

ガス灯をともす点消方の絵

明治時代に、ガス灯や電気照明が取り入れられた時に、ハイカラな看板として流行しました。西洋のガス灯に日本の伝統的様式を融合した独特なデザインとなっており、四角や六角のものがあります。材質は金属部分が銅、屋号が入っている面はガラスで、時代がたつにつれ銅に緑青がふいて渋い色合いになります。職人がひとつひとつ手作りしたもので、当時はたいへん高価なものだったといいます。

井筒の軒行灯は、井筒グループの各本社ビルに、明治時代のオリジナルを再現したものが、取りつけられています。

ガス灯をともす点消方の絵

鯨(くじら)と曲(かね)

2021.1.26  コラム 

ものさし

画と文 ㈱井筒東京 常務取締役 井筒周

尺貫法

長さを尺や寸、重さを貫や斤で表す尺貫法は、1958 年(昭和 33 年)に廃止されましたが、いろいろな業界で、まだ普通に使われています。法衣や装束、仏具でも尺や寸が使われます。しかし、「尺」には「鯨尺(くじらじゃく)」と「曲尺(かねじゃく)」の二種類があります。鯨尺の一尺が約 37.8 ㎝で、曲尺は 30.3 ㎝、同じ一尺でも 7.5 ㎝違います。
鯨の一尺は曲の一尺二寸五分になります。
建築関係では曲尺が使われます。指矩(さしがね)と呼ばれる直角に曲がった金属製の物差しで測るので、「曲がる」と書いて曲(かね)と読みます。仏具も曲尺で作ります。

鯨尺は、着物など生地を測るのに使われます。物差しが鯨のヒゲで作られたからというのが名前の由来らしいです。 ところが、ややこしいことに、打敷や下掛は、曲尺で作った卓の寸法に合わせて仕立てますので、布地なのに曲尺を使います。また、なぜか袈裟も曲です。
ところが、色衣は鯨を使います。装束の狩衣なども鯨ですが、建築物にあわせる御幌は曲になります。

落語の『鹿政談』

指矩の絵

余談ですが、落語の『鹿政談』にこんな話がでてきます。「奈良の大仏さんと熊野の鯨が背比べしたら、鯨が勝った」、その理由は、「鯨のほうが曲(かね、大仏は金仏)より2寸5分長い」というのですが、もはや、曲尺と鯨尺の違いを知っている人がほとんどいないので、オチも一般受けしなくなりました。

因みにこのオチの2寸5分は曲尺の2寸5分なので、正確には7.575cm長いということになります。

金平糖のツノ

2021.1.19  コラム 

金平糖

明治時代の物理学者で随筆家でもある寺田寅彦が、なぜ金平糖には角(つの)があるかについて考察しています。砂糖を溶かしたどろどろの液体の中に芥子粒を入れて、それを核にして砂糖が固まるならば、球体になるはずではないのかという疑問に答えようとしたわけです。

寺田は、実はこれは、「統計的平均についてはじめて言われうるすべての方向の均等性という事を、具体的に個体にそのまま適用した事が第一の誤りであり」、「平均からの離背が一度でき始め」て、「平均の球形からの偶然な統計的異同 fluctuation が、一度少しでもでき」ると「ますます助長されるいわゆる不安定の場合のある事を忘れ」ていると指摘しています。つまり、現実世界には統計的平均からはずれた少しの異同(フラクチュエーション)が、時間の経過とともに大きな変化をもたらすことを示唆しています。

そして、「従来の物理学ではこの金米糖の場合に問題となって来るような個体のフラクチュエーションの問題が多くは閑却されて来た」けれども、「金米糖の生成に関する物理学的研究は、その根本において、将来物理学全般にわたっての基礎問題として重要なるべきあるものに必然に本質的に連関して来るものと言ってもよい」と述べて、明治時代にすでに、現在の科学でいうところのカオス理論やフラクタルの問題について考えを及ばせています。

金平糖のツノに潜んでいる物理学上の深淵な問題に思いを馳せながら、井筒の金平糖を召し上がってはいかがでしょうか。

衣替えのこと

2020.11.24  コラム 

御法衣

画と文 ㈱井筒東京 常務取締役 井筒周

日本の四季と衣替えの歴史

日本には四季があり、夏と冬では着る服に違いがでるのは自然なことです。平安時代には旧暦の4月1日から夏服を着て、10月1日には冬服に着替えることが定まっていました。

江戸時代には、武家では衣替えが年に4回になっていました。

明治時代では、役人、軍人、警察官の制服を定め、明治6年(1873年)に、新暦(太陽暦)の6月1日から9月30日までの4か月間は夏服を、それ以外の8か月間は冬服を着用することを決めました。これが、学校や民間企業にも伝わり、制服の衣替えの基準となりました。

1979年に大平内閣が提唱した「省エネ・ルック」は不評でしたが、2005年に今度は「クールビズ」を政府が呼びかけ、広がりを見せました。環境省では6月1日から9月30日をクールビスの実施期間と想定していますが、これは明治政府が定めた夏服の期間と同じですね。

アメリカではかつて、「白い服や白い靴を着用するのは、メモリアルデー(5月の最終月曜日)からレイバーデー(9月の第一月曜日)のあいだに限る」というルールがありましたが、いまや、そんなルールにしばられる人はほとんどいません。

現代の気候にふさわしい身なりを

省エネルック絵

気象庁によりますと、日本の平均気温は観測が始まった1898年(明治31年)から100年で約1.2℃上昇しており、特に1990年以降、熱帯夜(最低気温が25℃以上の夜)や猛暑日(最高気温が35℃以上の日)が増えて、冬日(最低気温が0℃未満の日)が少なくなっているそうです。今では、5月や10月に冬服では、少し暑く感じる人も多いでしょう。旧暦の4月は新暦の5月、旧暦の10月は新暦の11月にあたります。最近の日本の気候を考えると、又、太陽の動きからも、立夏(5月初め)頃から立冬(11月初め)頃までが夏と考えるのが順当と感じます。

「冬服こそが正式であって、夏服は一時しのぎの略式」と考えるのではなく、暑い夏には、夏の式正の服装があると考えて、現代の気候にふさわしい身なりを整えるのがより文化的なような気がします。

省エネルック絵

リトアニアの琥珀

2020.11.9  コラム 

琥珀の念珠

井筒法衣店社長 今岡規代

琥珀とは

琥珀は、はるか数千万年も前に木からこぼれた樹液が化石になったものです。バルト海沿岸がその主な産地で、世界産出量の八割を占めるといいます。琥珀は古くから人々に愛され、ローマ時代にはすでにバルト海と北イタリア結ぶ「琥珀街道」と呼ばれる道路があったそうです。

琥珀は約200℃~350℃で溶解し加工が比較的容易なために、「琥珀」として販売されているものは、加工の全く無いものから再生品まで品質はさまざまだといいます。私は、井筒法衣店の念珠に使うため、加工の施されていない琥珀を求めて、2017年にリトアニアのパランガという港町に調査に行きました。この町は、かつては琥珀街道が通ったところで、いまも琥珀の取引が広く行われています。琥珀博物館もあります。

リトアニアのパランガ

バルト海沿岸

この町には、琥珀を取り扱う店が多数あります。
私は、いくつもの店で、様々な種類の琥珀を目にし、説明を受けました。日本で琥珀といえば、「はちみつ色の透明な宝石」というイメージですが、じつは、乳白色や茶色の透明でない琥珀があり、特に乳白色の美しいものはヨーロッパでロイヤルアンバーと呼ばれ貴重とされていることを知りました。
また、小さな粒の琥珀をいくつも溶かして大きくして固めたものや、硬化状態が足りない「コーパル」と呼ばれる類似品を琥珀と称したもの、「樹液に捕まった虫」を演出するために溶かした琥珀に現代の虫の死骸を混ぜた偽物なども出回っていることなども知りました。
私は、できるだけ加工されていない、そして美しい琥珀、また信頼のおける店を探しました。

パランガ海岸の琥珀

海岸で拾った琥珀

この地方では、琥珀は海底から採取します。人類が誕生するはるか前に、倒木が地中に埋もれ、その樹液が地面の水分や熱や圧力などで変性して化石となり、バルト海の海底に眠っています。パランガの海岸に出てみると、貝殻や海藻、小石や砂に混じって、不ぞろいな形をした小さくて商品にならないような琥珀が打ち上げられており、子供たちが拾っていました。私も琥珀を集めてみました。数千万年の時を経て、いま、初めて私と巡り合ったのです。海岸で拾った琥珀を手のひらに握りしめたら、凝縮した時間を手にしているようでした。

リトアニアで私たちが選んだ琥珀は、弊社の職人がひとつひとつ丁寧に念珠に仕上げています。
ぜひ、手に取ってみてください。